ホンダ1300


 手前からセダン77S、セダン99S、クーペ7Sである。ホンダ1300は本田宗一郎が開発にかかわった最後の乗用車で、当時としては少数派になっていた空冷エンジンを搭載、前輪を駆動していた。これだけならたいしたことはないのだが、そのエンジンはDDAC(Duo Dyna Air Cooling-system)という二重空冷を採用し、空冷特有の騒音とヒーターの効きの悪さを克服していた。最高出力は1キャブ車の77シリーズでさえ100PS(後期型は95PS)、CVキャブ4連の99シリーズに至っては115PS(後期型は110PS)という途方もないハイパワーを搾り出していた。ただ、この特異なエンジンのため超フロントヘビーになってしまい、さらに驚異的なハイパワーのため、FF特有のクセの強いものになってしまった。

 発売当初はそこそこ人気があったが、すぐに操縦性の欠点を指摘されると人気はがた落ちとなってしまう。そこで、1970年に前年のモーターショーで参考出品されたクーペを追加すると1300シリーズの評価は高まり、一時は6,000台を超す勢いの販売を記録した。ただし、これはもともとが不人気だったため、ホンダディーラーの値引きに頼った販売での結果であった。しかし、超高コストの1300は造れば造るほど赤字に陥るという事態になり、ホンダを倒産の危機に追い込んだ車である。このあと、1972年にはシビックのエンジンを排気量アップした145にマイナーチェンジするが、セダンは1年で生産中止、クーペも2年でフェードアウトした。


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